セミリタイアを目指す弁護士ブログ

資産運用、法律事務所経営、セミリタイアなど興味があることをつづっていきます。

セミリタイアを考えることの功罪

セミリタイアのブログを読んだり、セミリタイアについてあれこれ考えることには、いろんな効果があると感じている。

 

そのプラス面、マイナス面について考えてみたい。

 

【プラス面】

 

●自分が何をすれば幸福を感じるかを考えることができる

 

自分のセミリタイア生活を考えると、必然的に、時間が自由になったときに自分が何をやりたいかを考えることになる。

つまり、自分が何に幸せを感じ、どう余暇をすごしたいかを、冷静に客観的な視点で見つめることができるのだ。

 

いわば、「一人自己啓発」ともいえ、悟りの境地に一歩一歩近づいているようなものである。

私のように、「マジで悟る5秒前」の者にとっても、セミリタイアについての思索は有用である。

 

●世間一般の考え方に当てはまらない自分の視点を持てる

 

世の中はまだまだ定年まで働くという生き方が主流であり、様々な社会制度もこういう生き方を前提として作られている。

 

社会が想定していない生き方を考えることで、独自の視点から、世の中や自分の人生を見つめ直すことができる。

この思考自体がエキサイティングな知的活動であるし、独自の視点をもつことによって人間的にも深みが出る。

 

日頃は、独自の視点で世の中を斜めに見がちな私としても、さらにセミリタイアという新たな独自の視点を得ることで、レベルアップができるのだ。

 

●節約、投資などの資産形成のモチベーションがあがる

セミリタイアは、節約を続ける際の心の支えになるし、投資で一定のリスクをとる際にも勇気の根源となる。

モチベーションの向上や維持に大きな力を発揮する。

 

つまり、目標があることで、節約や投資が、我慢ではなく、快感になってくるのである。

わかりやすく例えるなら、「セミリタイアという女王様による調教」ととらえることができよう。

 

 

一方で、セミリタイアを考えることによる、以下のようなマイナス面も無視できない。

 

●現状改善の努力に目を向けなくなりがち

 

セミリタイアブログを読んでいると、なんとなく自分も近いうちに仕事から解放される日が来るような気がする。

しかし、現実には資産形成には時間がかかるし、道のりは険しい。

また、セミリタイアをすれば幸福が約束されているわけではない。

それにもかかわらず、セミリタイア以外の現状を改善する方法(自分に適した職業を探したり、環境に適応しようとする)には目を向けず、セミリタイアブログをよんで溜飲を下げてしまう。

一種の、アルコールや麻薬のようなもので、ブログを読んだ直後は気分がいいが、現状に自分を順応させたり、地道に改善に取り組んだりする意欲が徐々に失われるような気がする。

 

セミリタイア原理主義に陥りやすい

 

上記のように、環境への順応・改善を行わない状況が続くと、最終的にはセミリタイア原理主義ともいうべき、極端な思考になりやすい。

 

セミリタイアとは、人生を変えるためのいくつかあるうちの一つの方法にすぎず、それが最善の方法かどうかは人によって異なる、という当たり前のことを忘れてはならないだろう。

 

●恋愛や家庭をもつことに否定的になりがち

 

セミリタイアの観点からは、恋愛はお金がかかるし、その先にある結婚、出産なども、マイナス要素でしかない。

現実には家庭をもつことで、大きな幸福を得ることができるとしても、セミリタイアという目標にとってはマイナスとなる。

このジレンマに直面したセミリタイア希望者は、恋愛や結婚を否定的に見ることによって、ジレンマからの脱却を図りがちである。

 

 

このように、セミリタイアについて考えることには、良い点も悪い点がある。

しかし、それでも私はセミリタイアについて真剣に考えていきたい。

なぜなら、セミリタイアは、自由への希望の道のりだと考えているからだ。

自由を得ること自体にも大きな意味があるし、そのために希望と勇気を持って行動することや、変化を楽しむことこそが、人生の醍醐味の一つなのだ。